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「スプリング・フィーバー」

『スプリング・フィーバー』   春風沈酔的晩上  SPRING FEVER 

春風沈酔的晩上

製作年:2009年
製作国:中国/フランス
監督:ロウ・イエ(婁) 
出演者:チン・ハオ(秦昊)、チェン・スーチョン(陳思成)、タン・ジュオ(譚卓)、ウー・ウェイ(呉偉)、ジャン・ジャーチー(江佳奇)、チャン・ソンウェン

<簡単なあらすじ>
本屋で働くワン・ピンと旅行会社で働くジャン・チョンは恋人同士。うまくやっていたがワン・ピンの妻が夫を疑い探偵ルオ・ハイタオを雇い尾行させる。そんな事を知らずワン・ピンは妻に恋人のジャン・チョンを大学時代の同級生だと紹介するが、妻は男2人の関係を既に知っていた。一方、探偵のルオ・ハイタオはジャン・チョンを尾行するうちに惹かれ始め関係を持ってしまう。ジャン・チョンが宿遷に行くと知り、恋人のリー・ジンを連れて同行することに。そして3人の旅がはじまった。

<感想>
『天安門、恋人たち』で中国電影局の許可なしにカンヌで作品を上映したため当局から5年間の映画製作・上映禁止処分を受けたロウ・イエ監督のラブストーリー。といってもこうやって製作できたのはフランスと香港から撮影に最低限必要な資金援助を確保したらしい。
家庭用デジタルカメラでゲリラ的に撮影したそうで、映像は全体的に暗く最初の方が顔の区別がつかなかったよ…。ハンドカメラなだけにシーンによっては画面がかなり揺れる箇所もあり。でも観終えた時にはそんなことも気にならなくなってました。こういう映像や画面の方が、翻弄し絡み合ったストーリーに重みが合っててよかったかも。

3人は一体何を求め彷徨っているんだろう?3人とも今もずっと彷徨い続けているような気がする。全体的でいえば主要登場人物は5人。みな心が満たされてない雰囲気。とにかく誰もが満たされていない心の空虚を必死で埋めようとしているって感じ。1人の人を愛するという概念がないようにも見える。脚本家は「自由=選択肢の多さ」と語っているけどなんか腑に落ちないような…。

よくわからなかったのはリー・ビンと探偵さんはカップルだと思っていたんだけど、それならリー・ビンと工場長の関係は一体?この2人の関係は最後までよくわからなかった。ルオ・ハイタオとは欲望だけの付き合い?ってわけでもなさそうだし。そういう意味ではワン・ピンの妻以外はパートナーがいるのにも関わらず心の隙を埋めたがってるような…。1人の相手だけでは心身共に満足いかないんだろうか。

3人で旅をするにあたり、皆このメンツは気にならなかったのかしら?特にジャン・チョン、関係を持っている男性の彼女や妻とは関わらない方がいいと身をもって経験したはずではなかったの?2人がついてくるのを拒否できたのにそれをしなかったのは一体なぜ?自分の事以外は興味なし?リー・ビン、彼女は旅に何を求めてたんだろう?ただ現状から逃げたかっただけ?探偵さんは?ただ単にジャン・チョンと一緒にいたかっただけ?なぜリー・ビンも誘ったの?
うーん、男と女のことはよくわからんですわ。監督自身、この映画は人と人との間の身近な日常を描いた純粋で単純でありふれた普遍的なラブストーリーと言ってますが、少なくとも私の身近にはこのような日常は…ありましぇん。。

作品中で朗読される「風沈酔的晩上」は小説は教科書にも載ってるぐらい有名な郁達夫の著書とのこと。そのお陰か物語をちょっぴり詩的で孤高な雰囲気になっていたかも。

『天安門、恋人たち』と同じ監督なのでなんとな~く同じようなイメージを持っていたので内容的にはさほど衝撃はなかったのですが、『天安門、恋人たち』と同じく観終えたあとはどこか悶々と…。面白くなかったわけではなく、結局は何が言いたかったのかなと。どうやらこのような作品は私には難しすぎるみたい^^;

といいつつも言葉少なめの作品なのに最初から最後までスクリーン釘付けで観てしまいした。なんて言ったらいいんだろ、それぞれ登場人物たちの気持ちは代弁できないけど惹きつけられる作品であることは間違いないと思う。旅をする3人より、ワン・ピンとその妻の2人の行動の方が現実味があるような気がしました。それぞれ俳優さんの演技、表情は良かったです^^

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「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ

『わたしを離さないで』   NEVER LET ME GO

わたしを離さないで

 著者:カズオ・イシグロ (Kazuo Ishiguro)
 訳者:土屋政雄
 出版社:早川書房 ハヤカワepi文庫 




<簡単なあらすじ>
優秀な"介護人"キャシー・Hは、11年以上"提供者"の世話をしている。ここ数年は"提供者"を選べるようになり、キャシー自身が育ったヘールシャムの人間を意識して世話するようになっていた。ヘールシャム――そこは他の出身である"提供者"から羨ましがられる施設で、閉鎖的ではあったが子供たちは大事に扱われ最高の教育を受けさせてもらえる場所。キャシーがそこで過ごした幼少時代を回想していく。友情・愛情・疑問・不安などを持ちながら成長していく過程、そして次第に施設の真実が明らかになっていく。

<感想>
第23回東京国際映画祭で上映された作品の原作。この映画でのネタバレしていない簡単なあらすじに目を通しただけなので、ストーリーの核心となる部分を知らず読みました。
"介護人"や"提供者"、"保護官"施設などという言葉で全寮制のような感じで読んでいたのですが、どうやら特別な生徒で普通の子供たちではない様子。普通の学校と何ら変わりないように見えて明らかに違和感が…。一体何の為の施設なのか、子供たちはどうしてここに?先生(保護官)たちは何を隠してる?と疑問に思いながら読み進んでいくと(といっても"提供者"という言葉で大体の予測はつきますが…)、ポツリポツリと何について書かれているのかがわかる言葉が出てくるように。でも確信はまだなく読み続けるとじわわと感じるようになり、途中で「やっぱり…」と納得。

これってネタバレせずにあらすじや感想を書くのが難しい…。著者自身は「最初から言ってもたいしてかわらない。そんなこと(ネタばらし)は本書の小さな一部にすぎない。なんなら本の帯に"これは○○についての物語である"と書いてくれてもかまわない」と言ってるらしのですが、それでもねぇ…やっぱりねぇ。

こういう運命だというのは宿命であり揺るぎない事実で、そのこと自体の問題性とか論理的なものは全く描かれてなく、ただただその運命を待ち受けている子たちの話。
このような話はSFとかであるけど、どちらかと言えば脱出するとか不満を持った話の方が多いような気がする。本書では、この結果が運命だと思っているのか、はたまた生まれた時から洗脳されてるせいなのか、自分の行く末をちゃんと受け入れている。これほどまでに(ルースにいたっては人並み以上?)喜怒哀楽の感情を持ち合わせているのに、全く抵抗もなにもないのがちょっと不思議だったりする。

自分たちの未来を薄々気付いていながらも、はっきりとしたことはわからない子供時代。なので保護官が話す事や噂話、いろんな出来事が重要なことに見えたり聞こえたりし、彼らはそれについていろいろ論議したりする。本当は彼らにとって意味がないことだとしても。
自分の未来をはっきり知らず、うやむやな情報や知識しか持っていないから日常に起こる出来事一つ一つにいろんな疑問を持ったり感情を持ったり。好奇心いっぱいだけど、それ以上踏み込んではいけないという自分たちでバリアのようなものを張っていたり。

小学生ぐらいの年齢から物語がはじまるので生まれた頃のこととかはわからず、将来の役目はわかっても具体的な使命はわかりません。役割自体の問題定義ではなく、彼らにまつわるエピソード的内容が大事だってことかな?使命を果たすまで、仲間たちと共に成長していく中でのさまざまな感情を描いているような感じでしょうか。

非現実的な話ではあるけれど、友情間の感情は生々しく普通の女の子となんら変わりない。だけど自分たちが辿る運命についてはもはや使命として決定づけられているせいか、さほど悲観的に思っていない。自分の決まった運命に対し「どうして自分が?」とか「受入られない」といった疑問はないんだろうか?自分たちの運命をあそこまで順応に受け入れているのはどういう経緯があったからなんだろう。

同じような内容でも、もっとSFらしい違う角度からの内容なら面白く読めたかもしれませんが、個人的に一人称で語られるキャシーの語りからはそれほど心打たれるものは得られず…。使命を果たすまでどのような感情な持ち、どのような恋をし、どのように成長していったか。映像だと原作本より多少はのめり込めるかも…。忘れた頃に映画の方を見ると、また違った感想を持つかもです。

「Story Seller3 ストーリー・セラー3」

『story Seller 3 ストーリー・セラー3』  

Story Seller (ストーリー セラー) Vol3 2010年 05月号 [雑誌]

 著者:沢木耕太郎、近藤史恵、湊かなえ、
     有川浩、米澤穂信、佐藤友哉、さだまさし
 出版社:新潮社 小説新潮5月号別冊





・『男派と女派 ポーカー・フェース』 沢木耕太郎
・『ゴールよりももっと遠く』 近藤史恵
・『楽園』 湊かなえ
・『作家的一週間』 有川浩
・『満願』 米澤穂信
・『555のコッペン』 佐藤友哉
・『片恋』 さだまさし
『男派と女派 ポーカー・フェース』
前半は初体験の話で旅先であった盗難と靴磨きについて、後半は人生で大事なことを男と女のどちらに教えてもらったかについて書かれたエッセイ。沢木氏は知らないことは何でも人に訊き、そして教わるらしい。それが根底にあるから人生で大事なことを男と女のどちらに教えてもらったかということを思ったりするんだろうな。
それより冒頭で沢木氏が2~3年前のことを最近と言ってる箇所であることを思い出しました。以前、私が「この辺り、"最近"(あるいは"この間")来たような気がする」と言うと友達が「それっていつ?」、私「2~3年前かな」、友達「やっぱり」。何でも歳を取ると最近という定義が長くなるらしい…。10代の若い子の最近はつい2~3日前のことを示し、20代でも1週間前~数ヵ月。が、アラフォー頃から1年以上も前のことを"最近"というようになるんですって。なるほど、わかるような気がします…。本文とは全く違う感想になってしまいました^^;

『ゴールよりももっと遠く』
13年間自転車ロードレースの選手として走り続けてきた赤城。監督補佐としてチーム・オッジに戻った今、なぜ自分がここにいるのか、自分の運命とはを考え現役を引退する1年前を振り返る。『サクリファイス』のスピンオフ。

年齢、身体能力から引退を意識するようになった35歳の赤城、気になるのは石尾のこと。今回はページ数は少ないけど赤城と石尾の話がまた読めて嬉しい。もうスピンオフの話はないのかな。筆者コメントにはこれで終わりのようなまだあるようなどっちつかずのコメントが…。とりあえずその後を書いた長編『エデン』があるようなので図書館で予約してこよう。

『楽園』
5歳の時、大震災で双子の姉妹を亡くした雪絵は20歳を目前にしたある日、トンガへ降り立つ。ある目的があって来たものの、その目的の場所はよくわかっていない。ゲストハウス経営している日本人と偶然出会い、そこに泊まっている日本人親子と行動を共にするが…。

20歳になったら自分の名前に責任を持たなければならない――そんな彼との他愛もない会話がきっかけの一つとなりずっと心の中で思っていたことを行動に移す雪絵。彼氏の行動や絵がかなり都合よすぎる感が…。あと大事な要素となる部分の一つを震災という出来事にひっかけてるのが個人的にどうも…。全体的に一つ一つの大事な事柄がうまくいき過ぎてる感がありました。

『作家的一週間』
タイトル通り作家の一週間を描いています。最初は有川さんの一週間をエッセイ的な感じで振り返っているのかと思ってましたが、文章の中で有川さんらしき人物を"私"ではなく"彼女"と第三者っぽく書かれているので、あれ?もしかしてフツーの物語?と思ってしまいました。でも読み終えて納得!そういう事なのね。。出版コードに引っかかる言葉についてにも触れているのですが、今回はシモ系。ちょっと勉強になったかも(笑)。なによりも嬉しいのは甲子園の話題が文中に出てくること。旦那さんの甲子園像に納得。ついでにショートショートの「S理論」より旦那さんの話す「S理論」の方が面白く興味が湧きました^^

『満願』
藤井は弁護士を目指し勉強していた学生時に畳屋を営んでいる鵜島家で下宿をしていた。そこの奥さんが殺人事件の容疑者になった時、弁護士になった藤井は彼女の弁護人となる。彼女の殺人の目的とは?

ちょっとだけ松本清張のような雰囲気がありこういうストーリー好きです^^凛としていて優しく上品な奥さん、彼女のような誇り高き人がどうして畳屋のご主人のような人と結婚したのか不思議でしょうがない。殺人目的も彼女ならではといっちゃそうかもしれない。この本を読んで得た教訓、「女房は立派になってはいけない」

『555のコッペン』
東京ビッグサイトで起きた事件に巻き込まれてから4ヵ月後、土江田は神戸に行くため東京駅にいた。コーヒーショップで時間を潰していると知らない女性と相席になるが、土江田に対し奇妙な言動をとる。その後、彼はある殺人事件に巻き込まれることとなる。

近藤史恵さんと同じくストーリー・セラーシリーズの常連作。最初はんん?と思っていたものの、3作目となるとどこか愛着のようなものが出てきました。ずっと土江田の過去が謎のままきており、今回は少し背景が描かれており過去がわかったようなわからないような…。大まかなことはわかったつもり。女子高生の格好をした探偵:赤井も登場し2人で東京駅構内を逃亡。世の中、いつどんな形で殺人事件に巻き込まれるかわかったもんじゃない。数字にまつわる連作もこれで終わりだそうですが、筆者コメントの予告を見るとまたどこかで土江田が登場しそうな予感。

『片恋』
製作会社のスタッフをしている石橋南の元へ警察からある男性の死を知らせる電話が入る。南には全く心当たりない男性だが、その男性が南の連絡先を所持していたからだった。ある日、南は偶然に無差別殺傷事件現場に遭遇し、ジャーナリストとしてカメラを回すが心の中では葛藤していた。その夜、亡くなった男性の弟から電話が入り通夜に来て欲しいと懇願され行くことを決心する。そこである事実を知ることになる。

さだまさしさんの長編は読んだことありますが短編を読むのは初めて。さださんとは知らずに読むと若い作家さんが書いたものだと勘違いしそう^^;大きく分けて知らない男性の死、無差別殺傷事件の2つから成り立ってるのですが、登場する刑事の言動がまるでドラマに出てきそうな雰囲気。ラストはキレイにまとまってますが、いくら好奇心が強いといっても見知らず人の通夜に行くかな?腑に落ちない点はあるものの思っていたよりは面白く読めました。
『story Seller』シリーズは最初、伊坂幸太郎さんと有川浩さん目当てで読み始めたのですが、3まで読んで米澤穂信さん、湊かなえさん、近藤史恵さん、本多孝好さん、道尾秀介さん等々今まであまり読まなかった作家さんにも出会えてよかったです☆
編集後記を読むとこの形での『story Seller』はこの号が最後だそうな。そして新たな展開にご期待!と。ってことはいつか違う形で新たな展開で同じようなのが始まるのかな?期待してまーす。

「北京の自転車」

『北京の自転車』   十七歳的単車  BEIJING BICYCLE  

十七歳的単車

製作年:2000年
製作国:中国/台湾
監督:ワン・シャオシュアイ(王小帥) 
出演者:ツイ・リン(崔林)、リー・ピン(李濱)、ジョウ・シュン(周迅)、ガオ・ユァンユァン(高圓圓)、趙毅維(チャオ・イーウェイ)、劉磊(リウ・レイ)

<簡単なあらすじ>
地方の農村から北京に出稼ぎにやってきたグイは高級マウンテンバイクで荷物を宅配する仕事を手に入れる。充分な利益に達したら自転車が自分のものになるというシステムで毎日一生懸命働いていた。あと1日働けば自分のものになるという時、自転車を盗まれてしまい大事な荷物を届けることが出来ず仕事もクビになってしまう。一方、高校生のジェンは友人たちと一緒に自転車で遊ぶため親のへそくりをこっそり持ち出し、中古のマウンテンバイクを購入し憧れの女性ともうまくいきかけていた。だがその自転車は盗まれたグイのものだった。自転車を見つけたら再雇用してもらえるため必死で探してグイは、ジェンが自分の自転車を持っていることを突き止める。

<感想>
10年前の作品で、経済成長が加速し農村から北京に大勢の人たちが出稼労働者としてやって来始めた頃でしょうか?グイはそんな中の1人。
多くを語らないグイは都会のやり方・ルールについていけず、自分の意見を言うのがあまりにも下手なので思わず「私が代わりに言ってあげるからそこどいて!」って言いたくなっちゃうほど(笑)。素朴は素朴なんですが、融通が利かず意固地な性格、見方によっては決して諦めない忍耐力がある青年。

グイの服のセンスが田舎から出てきた素朴な印象にかなり拍車をかけています(笑)。でもね、いくら田舎から出てきたからといって無防備すぎる。北京の街中で高い自転車をあんな風に置いちゃダメだよ~。チェーンで柵とか門とかにちゃんとくっつけておかないと!自転車は盗まれるわクビにはなるわ、自転車は見つかるもののボコボコにされて踏んだり蹴ったり。明るい未来を信じ北京という都会へ希望を持って出てきたはずなのに、ここまで不運ばかりだと気の毒すぎてみちゃいられない。

グイにとって自転車は生きるために稼ぐ大事な商売道具、高校生のジェンにとって自転車は仲間と時間を共有する大事なアイテム。一見グイに同情を覚えてしまうのですが、ジェンの自転車への思いも相当なもの。自転車が買ってもらえるという親との約束があったために一生懸命勉強し名門校に合格、テストだって学内ベスト5に入った。なのに家の事情で買ってもらえず。親のへそくりを黙って使ったとはいえ、ちゃんとお金を払って購入した自転車。それを急に知らない成年から「その自転車は僕のだ」と言われ、やすやすと手放すわけにはいかない。でも自分1人では行動せず、仲間を連れて自転車を取り戻そうとするのはフェアじゃないのでやっぱりグイに同情してしまうのよねー。

都市部と農村との貧富の差を象徴するかのような2人。だけどジェンは必ずしも裕福ってわけではない模様。子供の将来を考え名門校に通わせるため、少ない家計を切り盛りする家庭像も映し出しています。

生きるために働くグイ、対し自分の存在を確かめるようなジェン、それぞれ立場は違うものの自転車に対する思入れは同じ。目的は違えど自転車は自分になくてはならないもの。なんて言うんだろう、2人とも自転車が全て。宅配の社長やジェンの友人たちはたかが自転車と軽く言いますが、2人にとって自転車はそんな軽いもんじゃない。結局誰が悪いというのではなく、どう決着をつけるかが問題に。
一つ、観ていて気分が悪くなったシーンが…(気持ち悪いのではなく、汚い言葉でいうと胸クソ悪いという意味で)
最後の方でグイの自転車をめちゃくちゃにしてた男性、彼はなぜあそこまでしつこくしたの?グイがあんなに立派な自転車を持ってることへの嫉妬?それとも別の意味が?直接グイと関係のない男性があそこまでのことをするのは正直キツいっすよ(><。)

ふと思ったんですが、今作品は監督と視点を変えればガラリと雰囲気が変わりそう。自転車を盗ったり盗られたりというストーリーは面白可笑しく描こうと思えばできそうな気が…どうだろ~?

ところでジェンの憧れの女性ってクラスメイトだったのね。。パンプスのような靴を履いてるしタイトスカートだったからてっきり年上の女性かと思っちゃった^^;少し内田有紀に似ている正統派の美人さんでした。この女優さんは初めて知ったのですが10年経った今もおそらくお美しいに違いない。高級マンションにいる周迅は赤い口紅は塗っているものの、顔はまだ子どものような雰囲気。周迅の出演している映画は何本か観ていますが、イマイチ私の記憶にありません。。

中国ならではの設定で最近の中国映画の型にはまってなく、10年前の作品といえども今観ても全く古さを感じないインパクトある作品だなと。と同時に理不尽さもひしひしと…。純粋によい作品だなと思いました。青年2人の演技が良かったのも印象に残りました。

十七歳的単車2

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